The City of God, Volume I cover
The Two Cities アウトライン

The City of God, Volume I

本書の主要部分、転換点、論点を木構造で示すアウトライン。

Augustine, of Hippo, Saint 2014 192 min
神の国、第一巻

第3章「編集者序文」から第20章「第十三巻」まで、章の構成を保持した順序ある目次。

第3章:編集者序文

アウグスティヌスの『神の国』への序論。本書の歴史的背景、構成、哲学的重要性、そしてこの新たな英訳の正当性を詳述する。

本書の契機と起源

直接の歴史的背景、すなわちアラリックによるローマ略奪と、アウグスティヌス、マルケリヌス、ウォルシアヌスの間の書簡のやり取りが本書執筆のきっかけとなった経緯を説明する。

ローマ略奪と異教徒の告発

アウグスティヌスは、本書の成立を異教徒の反発に帰する。彼らはローマの陥落をキリスト教のせいとし、神の国の弁護を必要とさせた。

マルケリヌスとウォルシアヌスの役割

異教徒の執政官ウォルシアヌスを改宗させようとしたマルケリヌスが、いかにしてアウグスティヌスを書簡のやり取りに引き入れ、キリスト教に対する反対が政治的・社会的な性質を持つことを明らかにしたかを詳述する。

書簡から論考への拡大

反論の複雑さが単なる思弁的ではなく政治的なものであったため、アウグスティヌスがその弁護を二十二巻からなる包括的な傑作へと拡大した経緯を説明する。

本書の構成と計画

アウグスティヌス自身による本書の構成の概要を示し、二十二巻を弁証的反駁と教理的説明とに区分する。

最初の十巻:反駁

第一の部分は二つの異教徒の見解を反駁する。すなわち、神々への崇拝が現世の繁栄をもたらすという見解と、来世の幸福をもたらすという見解である。

後の十二巻:二つの国

第二の部分は、神の国とこの世の国の起源、発展、そして究極的な運命を詳述する。

歴史的・哲学的重要性

本書を「歴史の哲学」として分析し、ローマの陥落を終わりではなく、神的物語の中での移行として解釈する。

ローマ陥落の衝撃

ローマ略奪が古代世界に与えた心理的影響を文脈化し、ヒエロニムスのような人物の絶望とアウグスティヌスの希望に満ちたビジョンを対比させる。

歴史の哲学

本書の主な価値は、御使の堕落から最後の審判に至るまでの二つの国の並行的存在と対立を辿る点にあると論じる。

神学的・文学的価値

アウグスティヌスの形而上学の扱い、新プラトン主義への批判、そしてその雄弁を称賛しつつ、時折の様式上の不明瞭さを認める。

受容と翻訳の歴史

本書の数世紀にわたる人気、既存の翻訳(特にフランス語版)の質、そして新たな英訳の必要性について論じる。

人気と批判的評価

本書の永続的な人気と「五世紀の百科事典」としての地位を指摘しつつ、一部の批評家が冗長または脱線が多いとする見解にも言及する。

英訳の欠陥

既存の十七世紀の英訳が極めて貧弱で不正確であることを批判し、優れたフランス語版と対比させる。

現行版の正当性

アウグスティヌスの重要な神学を現代の英語読者に提供するために、この新訳が必要であることを弁護して結ぶ。

第4章:第一巻

アウグスティヌスは、異教崇拝の禁止がローマ略奪を招いたという異教徒の告発に対してキリスト教を弁護する。戦争の災厄は通例のものであるのに対し、キリスト教教会において蛮族が示した寛大さは前例のないものであったと論じる。キリスト教徒の苦難について、現世的財産の喪失と霊的誠実さの保持を区別して論じ、凌辱されたキリスト教徒の女性がその聖性を失ったとする異教徒の非難を反駁する。

序文:本書の目的

アウグスティヌスは本書をマルケリヌスに献呈し、自らの神々を好む者たちに対する神の国の弁護の概要を示す。支配欲に駆られた地上の国と、謙遜と神的恩恵に特徴づけられる神の国とを対比させる。

第1〜7章:教会の聖域と蛮族の寛大さ

アウグスティヌスは蛮族侵略者の行動と戦争の普遍的慣習とを対比させる。キリスト教教会に逃れた者たちが助かったのは、蛮族の性質や異教の神々の力によるのではなく、キリストの御名によるものであったと論じる。

異教徒批評家の忘恩

アウグスティヌスは、キリスト教教会に避難して略奪を生き延びた多くの異教徒が、今やキリストを冒涜し、その生存を蛮族がキリストに抱いた敬意ではなく運に帰していることを指摘する。

異教の神々はトロイアを守れなかった

ウェルギリウスと歴史を引用し、異教の神々がその神殿で敗れた敵に聖域を提供したことはなく、プリアモスが祭壇で殺されたトロイア略奪に見られる通りであることを示す。

戦争におけるローマ人の行動

アウグスティヌスはローマの歴史を概観し、カエサルやマルケルス、ファビウスなどの将軍を引用して、寛大さで名高いローマ人でさえ神殿で敵を助けることはなかったことを証明する。したがって、キリスト教教会で示された慈悲は異例であり、キリストに帰せられる。

寛大さの新たな原因

アウグスティヌスは、ローマにおける暴力は戦争の標準的なものであったが、教会で示された慈悲はキリストの御名によって引き起こされた新しい出来事であったと結論づける。

第8〜10章:現世的災厄の目的

アウグスティヌスは、なぜ神が善人と悪人を同様に苦しませるのかを説明する。現世的災厄は善人を訓練し、悪人を罰し、キリスト教徒に地上のものを過度に愛さないよう教えるために役立つと論じる。

善人と悪人の共通の運命

神は正しい者にも正しくない者にも雨を降らせ、太陽を輝かせる。現世的祝福と災厄は両者に共通する。それは善人が世の幸福を貪らず、逆境を過度に恐れないためである。

なぜ善人は悪人と共に苦しむのか

善人は悪人と共に懲らしめられる。なぜなら、彼らはしばしばこの現世を過度に愛し、罪人を諫めず、ヨブのように信仰を証明される必要があるからである。

現世的財産の喪失

財産を失ったキリスト教徒は真の富(信仰と敬虔)を失っていない。略奪は、すべての敵から安全な天に宝を蓄えるよう彼らに教えるために役立った。

第11〜15章:死、埋葬、捕囚

アウグスティヌスは略奪の物理的恐怖、すなわち虐殺、埋葬されない死体、捕囚に対処し、これらが義人の魂を傷つけることはないと論じる。キリスト教徒の肉体は害されても、その魂は神によって守られると説く。