『我が生涯 第1巻』 cover
芸術哲学と美学理論

『我が生涯 第1巻』

本書はワーグナーの自伝第1巻であり、1813年の出生から1849年のチューリヒへの脱出までの彼の生涯を記録し、型破りな教育、芸術形成に影響を与えた要因、ドイツ各都市での初期指揮者活動、最初の主要オペラの制作、ドレスデン5月革命への劇的な関与を記載している。

Wagner, Richard · 2004 · 27 min

大西洋を渡った旅の後、リヒャルト・ワーグナーと妻のミンナはロンドンに到着したものの、新たな苦難に直面することになった。英国式のダブルベッドが揺れるせいで眠ることもできず、船の食事の質の悪さから二人とも体調を崩してしまった。そんな苦難の中でも、夫妻は金銭的な心配を後回しにして、馬車を頼りにロンドンの名所を巡り、大都市の探索に没頭した。ワーグナーがロンドンを訪れた主な目的は、音楽関係者と連絡を取ることと、自身の楽曲の公演機会を探すことだった。

スクリーブとの接触を諦めたワーグナーは、代わりの協力者として多作なヴォードヴィル作家のM・デュメルサンを見出した。デュメルサンは喜んで彼のオペラ Liebesverbot をフランス語の韻文に訳し、テアトル・ド・ラ・ルネサンスで上演することを請け負った。友人の勧めもあり、ワーグナーはフランス語の歌曲の作曲にも着手した。レールスとアンダースが提供した歌詞に曲をつけ、その中には “Dors, mon enfant” も含まれていた。これは彼にとって初めてフランス語の歌詞に作曲した作品で、大成功を収めたため、静かに演奏する夫を聞いた妻のミンナは「眠りを誘うには天国のようだ」と称賛した。

セーヌ川沿いではすっかり人々に親しまれる名物となっていた貴重な飼い犬を失った出来事は、夫妻が悲しみに暮れる中でも、神の摂理によるものだと感じられた。盗難があったことで、パリでの生活の危うさが際立ったからだ。この不運は、夫妻の経済的余裕がすでに逼迫していた時に起こった。友人は「自分たちですら食べるのがやっとだというのに、这么大的な犬を飼うなんて無謀だ」と語っていた。この事件は、思いがけない人との縁に恵まれる瞬間と深い失望が交互に訪れる冬の到来を予告するものだった。

本章は、ワーグナーの深刻化する経済的窮状と、出版社のための失敗した企画や屈辱的な仕事の背景で、リエンツィの完成という最終的な勝利をたどる。このエピソードは、皮肉にも象徴的な出来事から始まる。彼の序曲「ルール・ブリタニア」はロンドン・フィルハーモニック協会から返送されてきたが、運送料を支払うための7フランがなかった。郵送料を捻出できなかった彼は、唯一の原稿を出版社に送り返すことになった。この一件は、彼の困窮した状況を典型的に示している。

1840年から41年にかけての冬、リヒャルト・ワーグナーはキャリア初期で最も屈辱的で過酷な時期のひとつを耐え抜いた。ハインリヒ・ブロックハウスやその他の手段を介してまともな雇用を得るのに失敗した彼は、出版社のモーリス・シュレジンガーのいいようにされることになった。シュレジンガーは彼の困窮した状況を利用し、ドニゼッティのラ・ファヴォリータをさまざまな楽器用に編曲するという膨大な量の退屈な仕事を押し付けた。この仕事の報酬は1100フランだったが、ワーグナーが受け取ったのは前払いとしての500フランだけだった。

1840年の最初の数ヶ月間、ワーグナーは壊滅的な結果に見舞われた。パリの賃貸習慣を知らなかったため、大家に適切な通知を期限内に行えなかったからだ。痛みを伴う病気で身動きが取れない高齢の仲介人に必死に訴えたにもかかわらず、彼はさらに1年分の家賃を支払う義務を負うことになった。この灾难は、財政破綻から逃れるための残された望みを消し去った。救いを求めたワーグナーは、アパートを一時的に引き受ける意思のある家族を見つけ、夫妻はパリ郊外の安価な避暑地であるムードンに転居することができた。

7月にLe Vaisseau Fantômeが売却されたことで、極度の財政的窮状から一時的な救済が得られたものの、これはワーグナーがパリでの成功を完全に断念する最後の節目となった。手元に500フランを手にした彼は、数ヶ月間叶わなかったピアノを借り、ジャーナリストや翻案者となってしまった自分ではなく、作曲家としての信念を取り戻すためにそれを役立てた。Der Fliegende Holländerの台本は、すでに出版者のモーリス・シュレジンガーに強い熱意を抱かせており、彼はこの作品がモーツァルトのDon Juanと同等の影響力を持つと断言していた。

パリで過ごした数年、リヒャルト・ワーグナーは多くの音楽ジャーナリズムの仕事に従事し、ドイツへの帰国という野心を抱きながら各種出版物に記事を寄稿していた。アレヴィのReine de Chypreの作業を通じて、ワーグナーはこの作曲家とより親密な交流を持つようになった。ワーグナーはアレヴィを「並外れて心が優しく、実に謙虚な人物だ」と感じていたが、「救いようのない怠惰」に悩まされているとも思っていた。出版者のシュレジンガーはこの作曲家の怠慢にそれほどまでに業を煮やしており、校正が完了するまでワーグナーに「アレヴィを少しも休ませるな」としつこく迫った。

パリでの亡命中の数年、リヒャルト・ワーグナーは芸術的ビジョンを根本的に変容させた。常に彼を惹きつけてきたドイツの文化的遺産が、具体的な伝説的な素材として結晶化したのである。ルートヴィヒ・ティークがPhantasusに収めた版で知られていたタンホイザーの伝説は、単なる空想としてではなく、根源的なドイツの物語として彼を強く惹きつけた。特にワーグナーに強い印象を与えたのは、タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦の結びつきだった——それまで別々に接していた2つの物語が、今や1つの強力な全体として統合され、彼の次のオペラの礎となる運命にあった。

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